普段実はあまりFMは聴かない。
一年中、朝から深夜までガンガン耳障りなストレス大洪水な曲ばかり。
ほとんど無思考同然なこれらの垂れ流しはほとんど暴力と言っていい。
私にとって「音の暴風」だ。
しかし、今日。
この地方のFM局 radio-i(名古屋FM)で、今日は朝から時々沖縄の曲がかかる。
こういう日も1年のうちに1日は、ぜひあっていいのではないか。
名古屋の歩兵第6連隊は、終戦時は中国大陸にあったそうだ。
愛媛・松山の歩兵第22連隊は、嘉数(かかず)の戦いでは20倍も上回る敵に対して50日間持ちこたえたと言われる部隊。
明治17年の創設以来数々の歴史を歩んできて、嘉数の戦いでは「陸戦の極み」と敵に言わしめたほどの練達の部隊だったそうだ。
そして南部に追い詰められ、糸満のとある「ガマ」の中でいよいよ数名を残すのみとなり・・・・・。
軍旗奉焼のその後は、壮絶な最期だったようだ。
住民はもちろん本当に「巻き込まれた」戦争であったことには違いないけど
いろんな地方から来てこの地で戦った日本人が数多くいた。
意外にも北海道出身兵がダントツに多い。
故郷では、桜も含めて一斉に花が咲く季節に、遠い南の日本の島でど泥沼の戦場で闘っていた。
やがてラベンダーのこの季節になって散っていったのだろう。
慰霊の日の決め方にもいろいろ論があるようだけど、
沖縄戦そのものだけでなく、なぜこのようになったのか、
過去の歴史の流れでもっとマクロに突っ込んで啓蒙すべきと思う。
一方的、一面的は、何事につけても危険である。
「平和を考える」ことは大事だけど、それだけでは、抽象的になってしまうような気がする。
双方数多くの犠牲者を出した。
何かの進歩と結果に繋げてほしい。
これからに生かされなければ犠牲という意味はなくなるから。
一般によく言われる観光コースにない戦跡はたくさんある。
是非訪れてほしい。
330号線には立派な標識も出ているし、行きやすいと思う。
カーナビにもしっかり入れてほしい。
安里川の手前に陣取っていた米海兵隊の師団。
安里52高地(シュガーローフ)に海兵隊が大隊単位で第2回目の攻撃を試みたのは、米軍上陸から1ヶ月半あとの5/14。(この攻撃は失敗)
この日は名古屋大空襲で、350年間聳え立っていた名古屋城が全焼してしまい、多くの無辜の市民が犠牲になった日でもある。
責任問題等、まだまだ言いたいことは山ほどあるけど。
沖縄慰霊の日
合掌。
posted by TETSU at 15:34| 沖縄

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