甥っ子1号(今年7歳 2001 9.11生まれ)甥っ子2号(昨年10月デビューしたて)
も元気そのもの。
2号のほうは、相変わらずまだまだ「う〜」とか、「あ〜」とか唸って涎を垂らしているだけだけど。
次世代新戦力が成長している。
ところで甥っ子1号は、最近「石集め」に心を奪われてしまっている。
おじい、おばあ(私の両親)が買ってきた石を手にとるやいなや、何を話しかけてももうダメな状態。
鉱物に食い入る彼の目つきは、すでに恋する熱い視線である。
私の知り合い(サポーター関係)のお子さんも確か石を熱心に拾って観察していたような。
男の子の多くは通る関門なのかも。
なぜならばそういう私も鉱物採集の標本箱を全部自作してしまったくらい鉱物収集していた頃があった。
それが今でも大切に宝箱なるものに保管してある。
頑丈なスチール製米軍の空弾薬箱2ケース。自称「正倉院ボックス」
30年以上前のいにしえの時代の私の雑コレクションが詰まっている。
そのコレクションの中で、私が作った鉱物標本箱を、甥っ子1号にご開帳することとなった。
正倉院ボックスを開ける。
切手やら記念キーホルダーやら。。。。。タイムカプセルのようにいろんな宝物が現れる。
その中から、小学校から中学にかけての数枚のクラス集合写真がぽろりと出てくる。
「・・・・・こんな所にあったんか」
中学1年の時のクラス写真。
まるで小学生なみの小さい自分が、ぽか〜んと口をあけたマヌケな表情で写っている。
何の感情もなく袋にあらためてしまいこむ。
その翌々日。
mixiを通して、偶然 何とあの写真のクラスメートから連絡あり。
35年ぶり。
長い歳月が流れていた。
その頃はバンコクの日本人学校に通っていた。
私としては学校生活自体は決していい思い出とは言いがたい存在だった。
記憶の彼方に葬り去りたい気持ちのほうが大きかった。
それが今まで変わらぬ基本的立場だった。
でも、現地での生活体験自体というのは得がたい事だったという気持ちもある。
それでmixiで何となく、それらのコミュニティで近況を見ていた次第。
実際、当時の話などを彼女とやりとりしていると、あの頃が彷彿としてくる。
無理に葬り去るだの何だの、もうそんな肩に力を入れることもないではないか。
そう気づかせてくれた。
しかし今のバンコクは、何か行く気がしない。
行けば幻滅してしまうような予感。
当時の、あのバンコクをずっと胸にしまっておきたい。
35年前の写真の発見したのあとの、35年ぶりの連絡。
あの写真がポロリと宝箱から出てきたのは、何か暗示めいた不思議なものを感じる。
それとも、大林監督の映画にありがちな設定?!
んなことはないか。
明日から甥っ子1号は、初めての夏休み。
出張がちの弟、0歳児の育児に忙しい義妹に代わって、私が彼の工作手伝い、プール付き添い、各種送迎
さまざまな任務が待ち受けている暑い夏が始まる。
明日は全国一の炎熱がこの地方を襲うという予報。
すかさず、脱出を試みることにする。



どわ〜〜〜〜〜っ!!
夕立に霙が混じってが降ってきたような一服の清涼感あるコメントありがとうございます。
これで省エネに役立ちました。
で、その少年にちょっと吹き込んでみようと思います。
明日から前橋に向けて進軍開始です。
子どもの頃の宝物は 大人になっても宝物!
大人になってからの宝物(俺の宝物は保育士ルーキーイヤーに共に過ごした子ども達との写真、子ども達に貰った絵、お手紙です。)は 墓場までもって行く宝物となるコトでしょう!
甥っ子さん I君の 7歳の夏が 忘れられない 夏 になりますように。
湖国も夏の暑さ厳しきものと推察いたしまする。
夏の忘れられない宝物ができるよう、大人になってもがんばりましょう。
来月の備中水島氏攻めのいくさ備え、よろしゅうお願いつかまつる。
以下 琉球応援団歴史書「琉球血紅誌内地人伝」(魏志倭人伝のパロです) 2101年初版発行 より 抜粋
「世に言う中国大返しである。」
それを除いてはうちだけ特に毎回長距離の「大返し」ですね。
備中からの大返しの後は山崎の戦い。
織田軍も、浅井朝倉攻めの時に美濃へ大返ししているけど・・・・。
闘うということは忙しいことでもあるんでしょう。