このブログ開設(2006.4/5)の記事にも書いた。
ご存知の方も多いかもしれないが、伊能忠敬は、近代日本地図の祖とされる人である。
50歳を過ぎてからいろんな当時の先端学問を学び(師匠は本人より20歳も年下)、やがて、自らの足でコツコツコツコツ日本沿岸ななどを歩いて測量した、まさに現場実践の人である。
当時未開の地であった北海道、知床岬の先端までも。
南は屋久島までも。
その結果作り上げた地図は現在の最新測量技術の結果と比しても驚くべき正確さであった。
私が尊敬する歴史上の人物のひとりである。 幕末に英国海軍が、日本近海や沿岸の測量をさせろと幕府に迫った。 困惑した幕府は、たまたまあった伊能図の写しを英国側に差し出す代わりに、その測量要求を拒んだ。 伊能図を受けとって見た英国側はあまりのその正確さに驚嘆し、「この国はあなどれない!」と悟ったとの逸話がある。 何よりも、本人が晩年、近親者に語ったとされる言葉がいい。 「みんなは偉業だ偉業だと騒ぐが、私は最初から偉業を成し遂げようとしていたわけではない。ただ私の好きなことをやり続けただけです」のような主旨の発言である。 好きなことをやり続ける。 皆、それぞれに好きなこと、やりたいことはあるはずだ。 いろんな事情でそれが出来にくい人、幸いにして没頭できている人。様々である。 さて・・・・・時は現代。 モノ(地図)を作らなくなった地図会社がある。 皆、地図という絵面(えづら)を見ていない。見ようともしない。 やっていることは、正確に言えば地図データの「処理」である。 処理作業なのである。 断言する。それは地図作りで決してない。 はっきり言って地図作りと言うかモノつくりを愚弄している。 作る現場の職人がいなくなった。 作る感覚を持ち合わせた人間はいなくなった。 日本社会全体にしても、職人の激減、空洞化が激しい。 作るってどんなことだろう。 どんなにデジタルな手法に変わろうとも、現場にしかわからない研ぎ澄まされた感覚がそこには必要であり、また事実存在する。 しかしその会社は、それを「自ら放棄」してから久しく時が経つ。 外から見ていてその哀れな変貌ぶりが実によくわかる。 いかにも地図知り顔をして、弁舌能書きだけは一人前。 そんな●ツの青い人間が、今日も「地図業務」に精々邁進している。 佐原の伊能忠敬記念館に行ったことのある人間はどれだけいる? 深川の富岡八幡宮に行ったことのある人間はどれだけいる? 自分の在籍時でさえ、そろばん勘定と規則の履行が業務の主体になっているかのような感覚すら覚えた。 そろばん勘定の業務益々旺盛にして、システマチックな規則だらけ、顧客の方はまったく見ていない姿勢。 最近ISOセキュリティ認定を受けたらしく、作ることとは無縁な事で、勘違い自己満足に浸っているその姿は誠に「祝着至極」である。 その会社は最近バナー広告に、伊能忠敬をキャラクター化させて登場させている。 しかし・・・ 彼らに、忠敬先生を語る資格はない。


