友人の家庭がピンチである。
以前、私が勤めていた会社の元同僚。
今でも付き合いがある。
家庭あり。お子様1人。持ち家。ご両親が隣家にお住まい。
しかし。
お父様が重篤の病に倒れられた。
お母様はショックで寝込んでしまわれた。
奥様は看護士であるが、体調がすぐれず休職中。
肝心の本人は、「求職中」
これまで彼は数々の転職を重ねてきたが、つい先日も退職したばかり。
一家の大黒柱。
自らの身を挺してでも、例え自ら犠牲になろうとも守らねばならないものがある。
当然、彼にはその覚悟があらねばならない。
あると信じている。
しかし、ここまでの諸々の経過、結果から判断するに、友人としてはっきり言う。
残念なことに彼にその意思は感じられてこない。
すべて自分のことだけのような気がする。
看護士の奥様のかなりハードな仕事。
それから解放してあげたいと思わないのか。
自分が家族を守ってやる と思わないのか。
ストレスで休職せざるをえなかった奥様。
そこまで追いやった原因は何なのか。
彼は苦手のものに最初からできないと、自ら幕を張っている。
「苦」を否定している。
彼のこれまでの社会人としての仕事に対するスタンスは甘すぎた。
甘い世界でなまじっか20年以上も勤続できたのでそれが彼のスタンダードになってしまったことも最大の不幸なのかもしれない。
求められているスキル(例えばofficeなどの操作)はできないと明言している。
自らそうしたなら、それなりのリターンしかない。
これ当然のこと。
できないのではない。
やらないのだ。
やるべき努力をやらずしてリターンだけを求める。
それは虫が良すぎる。
世の中押すな押すなの大行列で少しでもスキルアップしようと必死な世界なのに。
スキルアップが目的ではないが、人間には向上心があるものだと信じたい。
だからこそ勉強する。
興味のあることないこと、必要に迫られてのこと、きっかけや理由はそれぞれだろう。
このまま45歳というリミットまで過ごすつもりか。
これを過ぎるとどんなに経験やスキルがあっても、ほぼ門前払いという現実が待っているのに、さらにこのような転職の繰り返しで漫然と生きていくのか。
自分のできること、実は得意なことにじっくり目を向けて問い直して欲しい。
彼の周囲は一気に9回裏ノーアウト満塁という事態になった。
お父上のご病気を差し置いて不謹慎な表現かもしれない。
しかし
ピンチはチャンスとも言う。
この逆境が必ずや彼の意識改革と責任感再認識、それらの覚醒のきっかけとなることを願って止まない。
O氏。
ご無礼承知で書かせてもらった。
友人だからこそわかってもらえると信じているからこそ敢えて書かせてもらった。
何を言っても無駄だと思う奴には、最初から何も言わない。
御免。ご容赦あれ。


