私が、小学校2年か3年くらいのこと。
私の家から、父の実家(つまり祖父母の家)までは自転車で15分くらいのところにあった。
名古屋市千種区内。
よく祖父母の家まで遊びに行った。
私の「おじぃ」の机の引き出しには必ず、某社のコンパクトに作られた地図帳があった。
名古屋市内の区分地図。
祖父が、新聞で出てくる地名の場所を確認するために常備していた地図。
痴呆防止の意味もあったのだろうか。
その発行元を見ると、かなりあとに、私が働くことになった会社。
川の細い線が、だんだん太くなって、
支流を集めて、だんだん太くなって、
やがて名古屋港に注ぎ込む。
あの絵柄に、何となく想像とロマンを掻き立てられたものだった。
川が最初に始まるところって、どういうふうになってるんだろう。
郊外の丘陵地帯から細い青い線が、ちろちろと描かれて川が始まっている。
その線を描いたのは、紛れもない「職人」の大先輩方。
そのロマンを掻き立てられた少年がいた。
そういう「味」と「夢」を描いて生み出すアナログの職人の世界は完全に消滅した。
地図は算術なり。
いや、扱うコンテンツなどどうでもいいのだ。
コンテンツは算術なり。
今の彼らにとっては、算術さえ成り立てば、実質扱うものは何でもよいわけで。
ロマンとか想像とか、そんな世界から一切かけ離れてしまった。
そんな現代があるような気がしてならない。


