1945年5月15日。
前日までそこに大きく聳え立っていた名古屋城は、その日の朝には忽然と跡形もなく消えてしまっていた。
このことは前の記事に書いた。
時を同じくしてこの日をまたぐ1週間。
沖縄では、安里52高地の攻防戦が激しく繰り広げられていた。
このことは、以前の記事にも書いた。
http://tyurakaji.seesaa.net/article/46558409.html
この小さな丘ひとつ巡って、アメリカ海兵隊の精鋭、第6師団の戦死傷者2,600名、多くの戦闘疲労者(精神に異常をきたしたものが大半とも言われる)も多数出した。
少なくとも複数の中隊を全滅させている。
もちろん日本側の犠牲数は多大だったことは沖縄地上戦の多くの記録に残っているとおりである。
前回この記事を書いた時は、
某大臣の、長崎原爆投下に対する「しょうがない」発言があった。
そして、私が映画「硫黄島からの手紙」を鑑賞した時でもあった。
アメリカ側にもすでに存命者は少なくなってきており、彼らに対するインタビューをまとめて綴った記録である。
たった1週間の出来事ではあるが。
沖縄戦の前半から中盤を象徴するこの熾烈な史実にもっとスポットが当てられてもよいのではという気がした。
私たちが、沖縄地上戦を語る際にはほとんど登場してこない。
認知度の低さは確かだと思う。
日本側の生存者や証言が皆無なためなのか。
もちろん記録や写真などあろうはずもない、背水の陣の現場。
無理もないかもしれない。
しかし歴史の風化という名の消失はさせてはならないと思う。
多くの犠牲者が間違いなくあったこの史実。
もっと、ほかのことと同等に知られてもいいのではと思った。


